日本結晶成長学会誌 27 [4] (2000) to be published.
巻頭言
「アートからアートへ」
佐藤勝昭 (農工大工)
辞典を調べると、アート(art)には芸術という意味と、職人芸、技巧という意味がある。私は美術家の端くれとして、よく絵描き仲間と一杯やりながら芸術談義を交わすのであるが、彼らはよく「オレはアーティスト(artist)であってアルチザン(artisan:画工)ではない」などとうそぶいている。いくら技巧的に優れていてもその中にエスプリや創造性がなければ美術としての魅力に欠けるというのである。絵描きたちは、多くの試行錯誤を重ねながら「技巧」としてのアートを「芸術」としてのアートへと高めようとしているのである。
話は変わるが、私は学生時代以来、強誘電体SbSI、化合物磁性体CdCr2Se4、MnS、CuFeS2、CoS2、Fe7Se8、多元化合物半導体CuAlS2、ZnAl2S4、SrGa2S4などのバルク単結晶を気相法で作製してきた。結晶成長の目的が物性測定にあるので、なんとか光学測定に使えるサイズの単結晶が得られると、それで満足してしまうところが多かった。私にとって結晶成長もまた、試行錯誤の上に花咲く「職人芸」としてのアートであり、得られた結晶の「美しさ」ゆえのアートでもあったと思う。
結晶成長は長らく、偶然性や経験的要素が重要な位置を占める職人芸そのものであった。長期にわたる多くの経験の集積によって結晶成長理論が体系化され、学問としての結晶成長学が確立した。これによって、現在のITを下から支えているシリコンのように、究極の品質をもった結晶が、商品として大量に供給されるに到っている。さらに、エピタキシャル薄膜成長の理論と技術の発展のおかげで、半導体のテーラード・マテリアルが設計可能になり、新しいデバイスが生み出されている。さきほどの辞典には、アートの意味としてもう1つ「(学問の分科として)高等研究の基礎となるもの」が示されている。結晶成長はアートからアートへと深化した。
筆者も遅ればせながら、MBEによるエピタキシャル成長に取り組むようになってきた。飛躍的に進歩したその場観測法や分析法にも支えられ、「結晶成長はもはやアートではなく工学となった。」と感慨無量である。学生たちは、まるでテレビゲームをするような感覚でMBE結晶成長に取り組んでいる。しかし、これは、III-V族のようによくわかった材料の場合であって、一歩踏み込んで、高温超伝導体Bi2Sr2Ca2CuOx、希薄磁性半導体Ga1-xMnxAsや強磁性体MnBiなど作製法が確立していない物質の単結晶薄膜を作ろうとすると、それほど単純ではない。たくさんの失敗を積み重ねた末に、ちょっとしたひらめき・アイデアと、さらに職人芸(テレビゲームでいえば裏技?)が加わることで、素晴らしい薄膜を得る突破口がひらかれる場合が多い。今も、やはり結晶成長はアートではないかと思う。
科学技術庁は「技術開発に伴う事故や製品の欠陥などの失敗」をデータベースにまとめ、体系的に分析する研究を始めるという記事を最近読んだ (日経2000.6.6夕刊) 。失敗例や失敗寸前の経験を集積し「失敗学」として体系づけ、失敗による事故の防止に生かす手だてをまとめるのだそうである。
これは結晶成長にも重要な示唆を与える。多くの失敗例に学び、それを活かすことによって、職人芸から学問へと発展するのである。しかし、残念なことに失敗例を論文にすることは稀である。失敗例を並べた書物もない。試行錯誤の末到達した成功例のみが残る。失敗の中からどうやって抜け出したかのヒントも欲しい。書物や論文では無理でも、現在ならインターネットでできるかもしれない。アート(職人芸)からアート (芸術・学問) へ。さらに失敗例に学びステート・オブ・ジ・アート(state of the art 先端技術)へ。結晶成長学会こそ、そのような場を提供できる学会であると期待している。