エグゼクティブサマリー
「未来材料開拓イニシアチブ ~多様な安定相のエンジニアリング~」とは、材料創製の探索範囲をこれまで人類が扱ってこなかった未開拓の領域まで大きく拡大することで、高性能・高機能化、複数機能の共存、相反する機能の両立などの材料に対する高度化した要求に応えうる未来材料を創製するための研究開発戦略である。ここでは、材料の多元素化やハイエントロピー化、熱力学的に最安定な構造だけでなく準安定相などの多種多様な安定相の利用などを期待している。また、研究開発としては、未開拓の材料への探索範囲拡大とともに、新たな新規材料開発の指針となるように、構成元素、結合状態、エントロピーなどの役割の明確化や、作製プロセス中の現象の可視化による反応過程の理解、目的の安定相を得るための反応経路のダイナミックな制御、構造を安定化させるための手法の構築などを行う。
近年、CO2削減に向けた再生可能エネルギーの大量導入や高度なエネルギーマネージメント、快適なモビリティやIoT/AIなどの利用による高度な情報化社会を目指すSociety5.0の実現、製品の製造・使用過程における環境負荷の低減などの様々な社会的課題の解決に向けて、材料・デバイスの高性能化・高機能化に対する要求や期待がますます高まってきている。例えば、超軽量素材では高強度かつ高靭性、熱電材料では高電気伝導かつ低熱伝導、といった複数の機能の共存や相反する機能の両立などが、さらなる高性能化とともに要求されるようになってきている。これらの機能材料開発に対する高度な要求に対し、それぞれの応用分野における単純な元素構成、最安定相の利用など従来の材料探索範囲での新材料開発は困難になってきている。このため、未知の可能性を秘めている複雑な組成や多様な安定相など未開拓の材料へ対象を広げていくことが必要である。また、材料開発競争の激化から、新材料の探索から実際の材料作製に至る材料設計や作製プロセス設計も含めた開発期間の短縮も求められており、応用分野を越えた新材料創製の新たな指針の構築が必要になってきている。
一方、第一原理計算や、ビッグデータ解析、機械学習、ベイズ推定などのデータ科学を利用して効率的な材料設計を行うマテリアルズ・インフォマティクスや、同時に多様な組成の材料を作製するコンビナトリアル手法、ロボットなどの利用による効率的な実験(ハイスループット実験)が最近発展してきている。従来の実験手法では取り組みが困難だった未開拓の材料に対して、このような新たな研究手法を活用することで、目的の機能を有する組成・構造の選択や、それを安定な材料として実現する作製プロセスの構築を効率的に行うことも可能になると考えられる。このため、高度な機能要求に対して、新材料開発の範囲を未開拓の材料へと大きく広げ、そこでの材料創製に挑戦していくべきである。
今後取り組むべき研究開発課題としては、材料探索範囲の拡大、作製プロセス中の反応過程の可視化と反応経路の動的制御、プロセス制御手段の利用による目的安定相の実現があり、具体的には以下の研究開発を行っていく。
(1) 材料探索範囲の拡大
材料の基本的な特性・機能に大きな影響を与える構成元素、結合状態などの主要因子の役割、さらには複数の元素間の役割分担、添加元素の補完的役割などの明確化が必要である。このような各要素の役割を明確にするためには、理論計算やマテリアルズ・インフォマティクスの利用とともに、ハイスループット実験やデータ科学の活用が重要である。また、作製プロセス中における、原料、前駆体、添加元素、多元素化によるエントロピーの増大、歪みなどの反応経路に関わる役割の明確化も重要である。
これらで得られた各種のデータや機械学習などで分析した結果は、応用分野を越えて活用できるようにデータベース化して共有し、得られた結果を研究者が論理的に理解し、モデル化してシミュレーション等に利用できる形にするために、主要因子を抽出してその役割や効果を学理として体系化していくことが重要である。さらに、応用分野を横断して新たな安定相を探索・設計する新たな指針を構築していくことが望まれる。
(2) 作製プロセス中の反応過程の可視化と反応経路の動的制御
目的の安定相を自在に作製するには、反応生成物、雰囲気、相変化などをその場での観測・計測(オペランド計測)で可視化し状況を把握することが重要である。このようなオペランド計測を可能とするプロセス装置の開発、反応生成物や反応雰囲気を検出できるその場観測装置、安定相のダイナミックな変化をトレースできる測定技術の開発が必要である。また、オペランド計測での可視化が難しい部分については、反応の理論計算や、これまでに蓄積されたプロセス関連のデータから反応機構を推定して補完することが望まれる。
これらの技術および測定データを基に、様々な条件下での反応過程と安定相のダイナミックな変化を科学的に理解し、反応過程と安定相変化を統合して扱う新たな学理として整理していくことが重要である。さらに、反応過程の途中で他の安定相が優先的に出現する傾向が強い場合などでも、目的の安定相を得るための反応経路を探索し、精密な制御手法の開発を行う必要がある。
(3) プロセス制御手段の利用による目的安定相の実現
安定相の中には、熱平衡状態では他の安定相とのエネルギーバリアが低く、使用環境では不安定になるものも存在するため、目的の安定相をさらに安定化させる手法の構築も必要である。特定の結晶面を持つ結晶基板によりエピタキシャル成長の原子配列を強制的に揃えたり、高温・高圧の状態から急激に温度や圧力を下げたりするなど、このようなプロセス制御手段を活用して目的の安定相を実現することも重要である。
上記で述べた研究開発を推進していくためには、材料設計から作製プロセス設計(反応経路設計)、オペランド計測、特性評価、データ科学などの統合的な研究開発を行う必要がある。特に、応用分野を横串的に見て、新たな材料設計・プロセス設計の指針を得ることが重要であり、これを強く意識して全体をまとめるリーダーの下で、研究を推進していくことが望まれる。このような研究は、関係する研究機関に跨がるネットワーク的な体制でも可能であるが、計測装置や作製プロセス装置などの開発や、多様な分野に跨がる人材の育成、効率的な研究開発を行う観点では、研究拠点の構築が望まれる。大学や国研における様々な基礎分野の研究者に加え、応用分野の様々な課題を知る産業界の研究者・技術者も参加することで、学術的な研究と応用に向けた研究の両方を知る人材の育成が期待される。
未開拓の材料への探索範囲拡大や多様な安定相を動的制御して新機能材料を創製するという考え方は世界的に見てもまだ断片的な活動しかなく、我が国において早急にこの研究領域を立ち上げていくことが重要である。このためには、材料設計、プロセス設計、計測、データ科学などに跨がる新たなコミュニティの形成とともに、この研究開発を加速する施策の早期実施が必要である。