結晶工学ニュースNo.33 (1991) 15-23
新幹事長就任の挨拶
「冬来たりなば・・」

佐藤勝昭 (農工大工)

 はじめて結晶工学分科会の幹事会に出させていただいたのは、15年も前のこと、まだ私がNHK技研に所属していた1979年でした。(これじゃ春日さんに「宿老」といわれるわけですよね。)この分科会では、幹事長を勤めあげると自動的に幹事を降りることになっています。「老」害を防ぐためでしょう。私もこのあたりが年貢の納め時かもしれないと思い、謹んで、藤本さんから幹事長のバトンを引き継ぐことにいたしました。大病を克服され100回記念研究会を大成功に導かれた藤本前幹事長、本当にご苦労さまでした。
 さて15年前、当時の幹事会は実にビジネスライク、結晶工学ニュースが1年も出ないのんびりしたものでした。その当時の会員数はたしか250名たらずだったように記憶しています。この間、飯塚隆、高須新一郎、芦田佐吉、宮沢靖人、松井純爾、春日正伸、宮沢信太郎、藤本勲と8幹事長のもとで使い走りをしました。いずれ劣らぬ結晶一筋のお歴々ばかり。幹事会はだんだんと放談会と変質し、にぎやかで楽しい雰囲気がかもしだされるようになりました。2期、3期と続けて幹事をされる方が多いのもこの会の特徴です。とにかく参加感のある幹事会です。
 80年代の半導体の高度成長とともにこの会も高度成長しました。結晶工学ニュースの表紙に私のイラストが載るようになったのは16号(1981.12)からです。この頃から結晶工学の研究会、講習会の参加者数は飛躍的に増加しました。80年代後半、何をやっても大当たりしました。講習会に300名を超える参加者があったこともあります。そして会員数は、いまや、870名に達しました。春秋の学会での結晶工学分科の講演数も増え続け、毎回450件を超えています。私たちがインフォーマルミーティングの形ではぐくんできたビデオセッションも、昨年から正式のビデオシンポジウムとして定着しました。
 90年代。バブルの崩壊からはや3年、日本経済は長い「冬」の季節から抜け出せないでいます。その影響はいま、あらゆる学会活動を襲っています。1月の第101回研究会「シンクロトロン放射光と結晶工学」の参加者は、幹事、講師を含めても30名たらず。分科会がはじめて経験する「冬」です。
 結晶工学ばかりではありません。私が企画委員長をつとめている日本応用磁気学会でも、ここ1-2年、どんな企画をたてても、セミナー、講習会の参加者が70名前後と、2-3年前に比べて半減しています。各企業がリストラと称してすべて横並びで「縮み志向」になってしまったためです。
 「冬来たりなば春遠からじ」といいます。冬の間葉を落として春を待つ木々。あったかくなると、あっという間に芽吹き葉を繁らせる木々のミラクル。そのもとは、冬の間にちゃんと準備されているのです。企業の研究者のみなさま、きっと「春」は来ます。冬の間に養分を貯えておきましょう。「レストラン結晶工学」では、スタッフ一同、腕によりをかけて、美味しくって栄養たっぷりのメニューをそろえてご来店をお待ちしています。
 結晶工学分科会も、春に備えなければなりません。そう、結晶工学予備軍を育てる必要があるのです。うんと参加費を安くして学生さんたちに来てもらおうではありませんか。理工系ばなれを食い止めるため、中高生相手のおもしろ結晶教室なども必要かもしれません。
 先輩幹事長とちがって、私の主たる専門は「結晶」ではなく、「光磁気」、「光物性」などです。ずっと単結晶づくりを続けていますが、十年一日のごとく気相化学輸送成長をやっていて進歩がありません。ただ、15年も「結晶工学長屋」の使い走りをやらせていただいたおかげで、門前の小僧なんとやら・・ギョーカイ用語にも慣れてきましたが・・・。ホンモノの結晶屋の幹事のみなさんに助けていただいて、魅力あふれる分科会づくりに励みたいと思います。
 最後に、会員のみなさまに、来年度は、会費の値上げをお願いしなければなりません。2年前、藤本幹事長は就任の挨拶で会費値上げを予告されましたが、経営努力でこれまで持ちこたえてこられました。しかし、郵便料金の値上げ、テキスト年間契約広告の不振などのため、いよいよ、値上げに踏み切らざるを得なくなりました。まことに不本意ですが、いっそうの会員サービスと結晶工学の振興につとめますので、会員のみなさまのご理解をお願いします。