太陽光発電所の2年を振り返って

農工大工 佐藤勝昭

プロローグ

私どもが18年住み慣れた我が家を壊し、太陽光発電システムを備えた新しい住宅を建築する決断をしたのは1993年6月のことであった。我が家ではその前年から建て替えを検討していたのであるが、その年の4月にあった工業技術院/NEDOの太陽電池連絡会で、建築会社M社の研究所の石川進部長から「建材一体化により設置費用も含めた太陽電池のコストはすでに1000円/Wとなった」との報告があったこと(これは、サンシャイン計画の2000年の目標であった)、および、通産省関係者から「本年の3月に小規模な太陽光発電施設に対する“逆潮あり系統連携”のためのガイドラインが作られた」旨報告されたことがきっかけとなった。今、家を建てれば、少なくとも2025年くらいまでは住めるはずである。その頃になれば、太陽電池を設置しているのが当たり前になるであろう。もし、それほどのコスト増にならないのであれば、太陽電池の導入に踏み切る時期が来ているのではないか。このように考え、さっそくM社の研究所を訪ねて詳しく話を伺った。

太陽電池屋と建築屋の発想の違い

「さすが建築屋は発想が違うな」と感じたのは、石川部長と話したときのことである。我々太陽電池材料に関わるものは、「まず太陽電池ありき」となる。しかし、石川さんの発想は、根本的に違うのである。彼にして見れば、太陽電池は1つの建築部品にすぎないのである。彼は、「これからの家は、快適さだけでなく、徹底的な省エネルギー性と、環境への配慮を追求しなければならない。」と熱っぽく説くのである。いわく、「太陽光発電はその目標の一部にすぎない。まず、徹底的に高気密、強断熱の家を造る。(外壁の厚みは120ミリ、断熱材を十分に使う。窓は2重ガラス、赤外線反射コーティング付き;これらによって熱損失率1.19 kcal/m^2hという小さな値が実現できる)これによって、空調に必要なエネルギーは通常の木造家屋の15%となり、大幅な省エネルギーが可能である 。次に、二酸化炭素の排出を減らすために、都市ガスを導入せずオール電化住宅とする。最もエネルギーを食う給湯については深夜電力を利用する。給湯器に供給する水は、予め太陽熱コレクターで熱交換器を通して加熱しておく。空調は高気密・強断熱であれば、1台のインバータエアコンだけでダクトを通して全室の暖房冷房が可能である。夏の冷房については、太陽光発電が有効に働くので、電気代を節約できる。」なんと、ここで初めて「太陽電池」のおでましなのである。
屋根瓦の代わりに「太陽電池パネル」を葺く。屋根の上に別に架台をおいて太陽電池を乗せると、その設置費用は高いものになる。しかし、瓦の代わりに使えば、瓦代が安くなる。設置費用は、瓦を葺く費用と同程度にする。このため、大工さんでも設置できるようにシンプルで大きさが手頃なモジュールが必要である。太陽電池の強化ガラスは、落下テストでスレート瓦より遥かに強いことが証明されている。建材一体化は大変メリットがあるのである。

太陽電池パネルの上を人が歩く

結局、石川さんの提案を全部受け入れて、省エネルギー住宅を建てることになった。太陽電池は多結晶シリコンモジュール(京セラ製)3kW, インバータは日本電池製、その効率は90%。費用は、当初の見積もり(省エネルギー、環境保護、および集中空調システムの導入を考慮しない場合)に比べて、1000万円近く余分にかかってしまった。(1994年度から、通産省は太陽光発電の設備に対して最大50%の補助をするようになった。我が家は、1年早かったため、この恩恵には浴さなかった。)西日を防ぐために、西の窓は最小限の数におさえた。省エネのために、出窓は使わないほうがよいというアドバイスもあったが、家は機能だけでなく形も大切だという妻のねばりで、北海道仕様の出窓を取り付けてもらう。
屋根の傾斜角は26.5゚、これは4月中旬の南中時の太陽(高度64.5゚)が垂直に降り注ぐ角度である。この屋根に太陽電池パネルを設置する。物見高い私は、ヘルメットをかぶって屋根に登らせてもらう。設置作業は大変興味深いものであった。防水シートの上にレールを置き、この上に、運び上げた35枚のパネル(1枚の大きさ900mm×900mm)を1枚ずつネジ止めする。パネルは、放熱を考え、数センチだけ浮かせて空気が通るようになっている。電気工事屋さんは、なんと、そのパネルのガラスの上にのっかってネジ止めしている。電子材料学の講義で、太陽電池の構造の話はするが、その上を乗って歩くなどということは教えていない。建材として用いると言うことは乗って歩いてもよいような丈夫なものを必要とすることを意味するのだと、そのときはじめて気がついた。配線は直並列にして200Vとしてインバータに供給する。大宅さんという小柄な女性の建築技師が、屋根の上を飛び回って、指示を出している。パネルの合計面積は南面屋根の約70%をカバーする。太陽電池パネルとほとんど外観が違わない太陽熱コレクター(不凍液の入った水を循環させて熱交換機を介して水道水を加熱)も取り付けられた。
棟があがってから大工さんも電気屋さんも大変であった。大工さんは、釘1本打つにも、それを伝って熱が逃げないように工夫している。電気屋さんは、配線の経路やコンセントのすきまから空気が漏れないようにしっかりとシールする。回路の数も多いので、大変な時間がかかった。

「佐藤勝昭太陽光発電所」の誕生

「系統連携、逆潮あり」のシステムは、東京電力と特別の契約を結ぶ。小さくても発電所。質のよい電力を系統に送り出さなくてはならないのである。筆者と東京電力の社長との間で、契約書を交わす。さらに、当時は電気工作物規程に従って、自家用電気工作物と見なされ、関東電気保安協会との保安契約も交わさなければならなかった。(その後、1995年12月1日に規程が変わり、一般用電気工作物として扱われるようになったので保安契約はなくなった。)我が家には受電用と売電用の2つのメータがある。時間帯別電力契約なので、受電についても、昼間(7:00-23:00)と夜間(23:00-7:00)の2つの表示がある。深夜電力は、昼間の約1/4という安い料金になっている。
さて、新居は翌年の1994年3月20日に完成。(図1に外観のスケッチ、図2に電力系統図を示す)着工から実に6ヶ月を要した。M社にとって重要なデータを収集するため、入居前に数日をかけて、徹底的な測定が行われた。もちろん、東京電力川崎支店にとっても初めての経験。電柱に計器をぶら下げて測定をしていた。強断熱、高気密の家はさすがである。何も暖房を使わなくても冬場の室温は18゚Cくらいある。23゚Cなら十分に温かい。断熱性がよいので、天井と床の温度差は1゚程度である。これが快適さのもとになっている。冬場暖房しなくても、玄関も廊下もトイレも温かい。家中の温度が均一なのは、熱交換機を通した強制換気によって、1時間に2回程度全体の空気が入れ替わるためでもある。夏場の冷房効率も高く、コストがかからない。
省エネのため、照明器具の白熱電灯はすべてボール型の蛍光灯に取り替えた。(これで、照明は1/3程度の消費電力となった。)太陽電池の出力および、電力の授受については、PT(電力用変圧器)を通して直流低電圧に変換し、パソコンのA/D変換ボードに入力して、10分毎にデータを蓄積している。データの収集は94年5月から現在まで続けている。

年間発電量3541 kWh、年間販売電力量1613 kWh

これまでに測定したデータをもとに解析してみよう。使ってみてはじめて知ったことであるが、晴れた日の最大発電電力は、南中時(11時30分頃)に2.2~2.4kWである。「公称3kWの太陽電池モジュールなのに2.2kWしかでないのは誇大広告だ」と怒るなかれ。公称値はあくまで、標準太陽光(100 mW/cm2)が垂直に当たったとき、標準温度(25゚C)で取り出せる最大電力なのである。東京地方の太陽光は雨上がりのきれいな空気の時をのぞいて標準太陽光の強度に達していない。また、夏場の太陽電池の温度は50゚Cくらいにまで上昇している。このときの変換効率は標準気温(25゚C)の場合の90%位にまで低下している。さらに、インバータ効率の問題もある。通常の運転状況でインバータ効率は約90%である。従って、たとえ、100mW/cm^2の光量があったとしても、出力は公称値の80%位になってしまう。すなわち、3kWのモジュールでも2.4kWとなる。だから、測定された2.2~2.4kWというのは極めて正常な値なのである。
1日の発電量は、夏の晴れた日で15~17kWh、冬の晴れた日で13~15kWhである。曇りの日は2~5kWh、雨の日でも1~2kWhは発電している。1ヶ月の発電量は平均288kWh、最大は8月で379kwh(94年)、367kWh(95年)、最小は95年6月の219kWhであった。測定を開始した94年5月から95年4月の1年間の総発電量は3541kWhであった。
一方、系統に供給(つまり電力会社に販売)した電力は、空調を使っているときとそうでないときで大きく異なる。秋の晴れた日に最大9kWh販売した記録がある。夏季空調を稼働させているときでも2ー4kWh程度販売しているのである。販売電力の月別変化を図3の折れ線グラフに示す。グラフから、最大で197kWh(94年5月)、最小で54kWh(95年7月)平均で129kWhであった。94年5月から95年4月の1年間の総販売電力量は1613kWhであった。従って、発電量の46%を系統に供給したことがわかる。
図3の棒グラフに、94年3月から96年1月までの月別の電力使用量と、販売電力の変化を示す。図からわかるように、購入した電力は、昼間が月平均308kWh、夜間が月平均585kWhである。こんなに使っても時間帯別契約のため引き落とされる電気料金は比較的安く月平均15881円であった。一方、販売した電力に対して振り込まれた金額は、多い月で6997円、少ない月で2521円、月平均4288円であった。引き落としと振り込みとの差額は11593円。先に述べたように我が家はガスを引いていないので、これが光熱費のすべてである。図4に新築前後の光熱費の変化を示す。家を建て替える前の光熱費は、電気・ガスあわせて、平均月額17960円であったから、毎月6400円(年額76000円) 程度安くなっている。この程度ではもちろんモトはとれないが、省エネおよびクリーンエネルギー供給に協力していること、さらに、全室空調の快適さを考えれば確かに安あがりといえよう。

苦労したガスなし台所

移り住んでしばらく慣れるまで苦労したのが、オール電化台所である。はじめ、ガスを使わないので元栓を閉めたかどうかを気にしなくてよいし、高温の気体がでないので台所が汚れないと喜んでいたのであるが、ガスに比べて火力が足りず、野菜を炒めてもしゃきっとしない。200V、2kWのハロゲンヒータで赤外線吸収ガラスを加熱し、この熱を鍋に伝えて加熱する。鍋の底がガラスにピッタリとくっついていないと熱が伝わらない。たいていのフライパンは底が湾曲している。はじめはフラットでも、安物のフライパンだと、だんだんと底が丸くなってしまう。もちろん中華鍋が使えない。おかげで、我が家では脂っこい料理が減り、煮物を中心とした和食が増えた。はじめのうち妻はいつも使いにくいとこぼしていたが、今ではかなり慣れてきた。鍋さえ選べば、短時間で十分高温にできることがわかったからである。しかし、もっと火力の強い調理器を研究する必要があると思う。

取材の協力もそれなりに大変

これまでに、いろんな取材があった。主として、M社の広報を通じてのものであるが、NHKが2回(教育テレビ学校放送社会科4年「ジャパン・アンド・ワールド」、総合テレビ「暮らしの経済」)、ハウジング雑誌(月刊ハウジング、ニューハウス)、共同通信(地方紙で全国的に紹介)、週刊誌(週間宝石)、婦人雑誌(ハイミセス)などなど。
前日には、一応掃除をしておかねばならない。日曜の朝、10時くらいに始まって夕方5時くらいまでかかることもある。平日の取材だと、授業を済ませて、飛んで帰宅ということにもなる。カメラマンは手慣れたものである。絵になるように、部屋の中の造作をいろいろと変えて撮影している。カメラマンが閉口するのが、肝心の太陽電池がよく見えないことである。屋根の上に架台に載っていると思って撮影にきたのに、太陽電池は屋根瓦の代わりにべたっと屋根にへばりついていて斜め下から見るとサンルームの屋根位にしか見えないのである。見方を変えると、太陽電池が載っているかどうかちょっと目にはわからないような極めてふつうの家なのである。
それから、取材の日に限って雨が降ったり曇ったりするものである。せっかく太陽電池が働いているのをパソコン画面で見せようと思っているのに出力がほとんど0で、以前のデータをモニタに出して見せたことも多い。ひどかったのは学校放送の取材の時である。M社から借りたモジュールを庭に置き、太陽の光で模型の電車が動くのを見せたのであるが、私の帰宅が遅くなり日が陰ってしまったので、太陽光の代わりに撮影用のライトを使って発電したこともあった。さすがNHK。画面で見ても全然そんなふうには見えなかった。

エピローグ

このように、省エネ設計と太陽光発電の組み合わせで、比較的安い光熱費で快適な生活が維持できることが2年間の生活を通じて実感できた。さらに、我が家では、2年間に7MWhもの電力を発電し、日常生活に使いながら3MWhの余剰電力を系統に供給できたということも大変誇りに思っている。
今後一層の材料開発が進めば、太陽電池はもっと安価で、高効率なものになると期待される。変換効率が倍になれば、同じ電力を発電するのに要する屋根の面積は半分になる。材料としては、当面結晶系のシリコンが先導していくと予想されるが、長期的に見ると結晶系を使っている限りエネルギー回収も遅く資源的にも問題がある。薄膜系電池の発展が、資源的にも、エネルギー回収の短縮の点からも、コストの点からも望ましいと考えている。21世紀には、ほとんどの家庭に太陽電池が普及するであろう。そして、家庭で使用される電力量のかなりの部分が、太陽電池によって供給される日もそう遠くないと予想している。