応用物理学会誌65 [8] (1996) 783.


楽しくなければ科学ではない

農工大工 佐藤勝昭


 バブル期にはあんなに自信に満ちあふれていた日本中が、長引く景気低迷の中で今ではすっかり自信喪失に陥っています。日本の科学技術が世界を征するとまで大合唱していたマスコミは、手のひらを返したように、製造技術が海外移転して空洞化するだの、新しいビジネスが育たないだの、インターネットなど情報通信技術で後れをとっただのと、すっかり鬱状態になっています。
 たしかに、私たちは、冷戦の終結、経済のグローバル化、アジア諸国の急成長と、これまでに経験したこともない大きな状況変化にさらされていて、楽観が許されないことも事実です。不良債権問題、薬害HIV問題などに見られるように、企業も官僚も制度疲労に陥っていて、悪いところばかりが目立ちます。だからといって、若者が将来に希望をもてないような悲観的な論調ばかりになるのは間違いだと思います。むしろ、伝統的な価値観から解き放たれた若者こそ、状況を切り開けるのではないでしょうか。
 いま若者の科学技術離れが議論されています。これは科学技術を学ぶことが若者にとって楽しいものでなくなったからだと思います。もっと楽しいものにすればよいのです。そうです。科学技術をもっとオモチャにしようではありませんか。科学技術を「あそび」に使うことにかけては日本人は世界に決してひけをとりません。江戸時代、エレキテルは「百人おびえ」という遊び道具として物見高い市民の間に流行しました。時計の技術は「からくり人形」に発展して見せ物になりました。最近では、テレビゲーム、カラオケ、パチンコ、さらには、アニメーションまで、日本が発信基地となった「ハイテク遊び道具」が世界中を駆けめぐっています。ウオークマンもMDもカメラ一体型ビデオも日本の生んだ「遊び道具」です。
 マンガとテレビゲームで育った若者だからこそできることがいっぱいありそうです。ワープロやパソコンのキーボードにアレルギーのない世代だからこそ考えつくような斬新なハイテク遊び道具が出てくるかもしれません。そして、若者たちはまもなく、科学技術の「成果」を「あそび」にするのではあきたらず、もっとすてきで便利な遊び道具をつくるにはどうすればよいかと追求する中で、科学で遊ぶようになるでしょう。そんな日がくることをオジサンたちは期待しているのです。
 昔の若者は自然の中で遊び、自然から科学を学びました。自然が消えた現代の若者は「ハイテク遊び道具」を媒介として科学したってよいではありませんか。楽しくなければ科学ではない。お楽しみはこれからだ!