国際会議奮闘記 -第9回三元および多元化合物に関する国際会議(ICTMC9)を終えて-

東京農工大学 佐藤勝昭

プロローグ

「では皆さん、1993年ヨコハマで再会しましょう!」、筆者がモルドバの民俗(民族?)衣装を身にまとい、教育センターの壇上からICTMC9の日本開催を高らかに宣言したのは、1990年9月のこと、日本はバブル経済のまっただ中にあって我が世の花を謳歌していた時期であった。
遡ること3ヶ月。1990年6月、飯田橋の理窓会館(東京理科大学の同窓会館)で第1回準備委員会が開かれ、ここで、ICTMC9の日本誘致が決定され、名誉委員長増本剛、組織委員長入江泰三、実行委員長佐藤勝昭、論文委員長飯田誠之という陣容が決まっていた。当時健在だった青木昌治先生はこうおっしゃったものである。「お金は心配しなくても集まりますよ。私のとき(1980年のICTMC8)でも1000万円集まったのですから。」
モルドバからの帰途、なぜか心は晴れなかった。モスクワの地下道で見た乞食。アルバータ通りで若者が売るゴルバチョフのマトリューシカ。クレムリンで擦り寄ってくる子供の物乞い。ソ連崩壊のきざしはあらゆるところにあった。そして、世界情勢は急変した。バブル経済も終焉をとげた。

手作りの国際会議へのあこがれ

ヒナ壇にならぶオエラガタ。無意味で無味乾燥な(失礼)長い挨拶の数々。おおげさな国際会議は国民の後進性の象徴ではないだろうか。お金をだしていただいた手前やむを得ない面もあろうが、国際会議を主催者のステータスシンボルとしてやるからという側面も否めまい。私はソ連での前回会議(ICTMC8)でそれをいやというほど知らされた。これに引き替え、1988年のパリICM(磁性学国際会議)はどうだ!1000名以上が集まる国際会議だというのに、会場のパリ大学法学部に立派な看板一つ無い。xxx***などの文字で構成された例のコンピュータアウトプットが各セッションの部屋を案内している。私は主催者にたずねた。「なぜこんなに気軽に(普段着で)国際会議をやるのだ」と。彼は「どんな小さな(学術的な)会合だってヨーロッパでは一国じゃやれないよ。なんでも国際会議になってしまう。それに、ジャポンと違ってフランスの企業は国際会議に金を出さないからね。」と肩をすくめた。「これだ!カネモチ日本はこれから多くの国際会議を引き受けさせられるに違いない。この気軽さこそ国際会議をやる秘訣だ。」というのが私の信念となった。
それ以来、いくつもの国際会議の実行委員、論文委員を引き受けた。私の信念に近い手作り会議はほとんどない。どの会議でも「事務局屋」なる業者が入り込んでいる。たしかに、会議の配布資料はきちんとしているし、議事録はすぐにできる。しかし、ほとんどどの会議でもトラブルが発生する。主催者は、「金を出しているのだからこれくらいのことはしてくれても」と要求がエスカレートする。事務局屋さんは契約を盾に抵抗する。さらに、どの事務局屋さんだって1人の職員が1つの会議だけを扱うわけではないから混乱が起きることがある。レフェリーされた論文がいつまでたっても委員会に返ってこない。調べたら、他の会議のファイルに入っていたなんてことも2回経験した。なかには実行委員会と論文委員会がそれぞれ雇った事務局屋さんのコンピュータのデータ同士に互換性がなく結局実行委員が全部打ち直したなんてのもある。それに、費用である。依頼する事務量にもよるが、会議にかかる総予算の1ないし2割というのが相場である。総額3000万円の会議で300~600万円という額はばかにならない。この経験を踏まえてICTMC9では事務局屋さんにお願いしなかった。その分を発展途上国や経済困難国の援助にまわせるではないか。私たちは、国際会議の仕事を事務局(農工大)、論文委員会(長岡技科大)、総務部会(電通大)、広報部会(東理大)、財務部会(日大)、出版部会(大阪府大)、会場部会(東理大)と分散して実行した。そしてFAX、パソコンネットワークの発達がこれを支えた。この面でとくに農工大の纐纈先生、長岡高専の諸橋先生の寄与が大きい。
サーキュラーもすべてカメラレディの形で印刷屋に渡した。実行委員の1人である松本先生(山梨大:本分科会幹事)がこれまでの経験に基づいて原案を作成、NIFTY SERVE(パソコンネットワーク)を通じて(もちろん圧縮して)送っていただき、これをMS-WORDに読み込んで私が手直しし、最終的に纐纈先生の手でカメラレディフォームに仕上げられた。ホテル情報も同様に東理大の佐野先生からNIFTYを通じて送られた。Advanced Programも索引も長岡から送られたEXCELのファイルに基づいて作成した。会場で用いる参加登録用のデータベースも財務委員(日大滝沢先生)とのE-MAILによるやりとりで作成された。このため当日の受け付けでのトラブルは驚くほど少なかった。このようにパソコン通信によって遠隔地が時間差なしに結ばれることによって事務局業務の分散が可能になったのである。
ただ1つ専門家に任せればよかったと思ったのは旧ソ連人へのビザの発給のための手続きであった。このことは後の項で触れる。

   ヤーニェパニマーユ[わかりません]

国際会議の開催を20日後に控えた7月下旬のある日の夜11時頃である。このところ毎晩、研究室のICTMC9専用電話/FAXの前にかじりついている。この日は、ウクライナのウジュゴロド国立大のネボラ教授に「International Science Foundationからの援助が決まった」ということを伝えるために自宅に電話していたのである。大学にFAXをいれようとしたら、交換手がでて「FAXは働かない」という。教授につないでくれといったら、きょうは大学にはいないという。しかたなく自宅に電話しているのである。ビザをとるにはもうぎりぎりである。もうかれこれ20回くらいリダイヤルボタンを押しただろうか。なんども「こちらはKDDです。ただいま国際回線が混んでいます。もういちどおかけなおしください。」というテープメッセージ。やっと、サーという音で旧ソ連につながったなと思っても、途中でピッという音がして、話中音になる。21回目にやっと出た。英語で話し掛けるが、こどもの声で「ヤーニェパニマーユ(Я не понимаю)」(わかりません)。結局、彼はビザが間に合わなくて来日できなかった。毎日、毎晩、この調子で旧ソ連のあっちこっちにFAXをいれる。向こうからも、「大使館(領事館)がビザをくれない。なんとかしてくれ」、「なんとか滞在費の面倒をみてくれ」のFAX。とにかく、電話事情が悪い。モスクワやサンクトペテルブルグもひどい。10回や20回のリダイヤルはあたりまえである。FAXが真っ黒だったり、途中が読めなかったりのこともある。こちらからモスクワの日本大使館へ送ったFAXも半分読めないという。マシンのせいではない。回線が悲惨なのである。情報インフラが整備されない限り、せっかく冷戦が終結したのに国民はその恩恵にあずかれない。

旧ソ連参加者にふりまわされた毎日

なぜ、毎晩を旧ソ連との応対に費やすことになったのか。まず、前回がモルドバであったことが大きい。サーキュラーの送り先に前回の参加者リストを用いるからである。次に、国際諮問委員長が(前回の委員長または事務局長がなるという慣例のため)モルドバのラダウツァン教授であること。そして、第3に、そしてこれが最大の理由であるが、ソ連が崩壊しだれでも金さえあれば自由に外国にいけるようになったことである。
それに、もともと旧ソ連では、外国にいけることなどはほとんど無いので、外国の国際会議に投稿してアブストラクトに掲載されれば、それだけで(参加しなくても)業績リストに書けるという悪習があったのである。このためダメモトで、なんと100篇を越えるアブストラクトが旧ソ連から投稿されたのである。(その半数は締め切り期限を越えて送られてきたのである。郵便事情の悪さは言語を絶する。モスクワですら、エアメールが1ヶ月半かかることがある。まして、アゼルバイジャンやウズベキスタンとなると・・・。ここでは、FAXさえもない。しかたなく何年も使われていなかったほこりまみれのテレックスをなんどたたいたことか。)
私は、極めて異例のことであるが、すべての旧ソ連への採択通知に、次のように書いた。「日本での国際会議のオーガナイザーは、これまで、何度となく旧ソ連人の通知なしのキャンセルに悩まされてきた。貴国の経済事情、通信事情の悪さには同情するものであるが、このことは国際的なエチケットを破ってよいという理由にはならない。なんらかの理由で参加できないときは速やかに電報なりFAXなりで知らせて欲しい。」
約50名の旧ソ連研究者が参加の意志表示をした。すべて旅費・滞在費の援助の要求つきで。ニューヨークのInternational Science Foundationに申し込んでくれというのも多かった。これは国際会議の全参加者の5%に限り旧ソ連研究者の旅費・滞在費のめんどうを見るというもので、会議の主催者からその人数分の申し込みをするのである。条件として、主催者は登録料の免除をせねばならない。われわれは、10名のリストを送った。
1993年5月になってから、いよいよ、ビザのための手続きを開始した。M方式だと8working daysで発給されるというので、このための招へい保証書等をととのえて送った。このためには、相手のフルネーム、生年月日、住所、旅程(搭乗機etc、こちらのホテル・・・)などが必要である。これをたずねるのも大仕事である。丁度こちらに滞在していたAksenov君が5月にミンスクに里帰りしたので、むこうで投函してもらった。いろいろの経緯があって、結局ビザが間に合って、参加できたのは15名であった。そのほとんどの人には旅費の一部を補助した。その間のやりとりの手紙・FAXはすべて名前別にファイルされているが、厚さ6.5cmのファイルぎっしり2冊である。これだけの手間を、国内の参加者を増やすための宣伝広報活動にかけていたら、と思うと残念である。筆者は今年度大学のコース主任・大専攻主任を兼ねており、会議準備期間が丁度就職の訪問客との応対(なんと15分-30分に1社の割で会った)、就職斡旋、大学院推薦入学、専攻会議の開催など、さらには、日本応用磁気学会企画委員長の仕事と、多忙を極めていたので、一時はまさにパニックであった。

会議当日

会議は、1993年8月8-12日の5日間パシフィコ横浜の5階で、口頭講演2会場、ポスター1会場を使い開催された。参加登録者は336名(日本246、外国90)。参加国は25ヶ国。採択された講演数373、実際に発表された講演数281(招待25、一般61、ポスター195)であった。
前日から、会場のあるホテルに泊まり込み設営にあたった。(このホテルの高さは何ということだ。朝食のバイキングが3000円!外国人には耐えられない値段だ。)
8日と9日の朝、成田には、蟹江先生(理科大)とAksenov君が張り付いて旧ソ連参加者をまとめ、横浜まで誘導してくれた。(ハードカレンシーをもたない彼らに旅費を渡すために誰かがいってなければならないのである。)
これだけの手間をかけたのに、会議が始まって、援助額の少なかった旧ソ連人たちは毎日のように事務局に来て、ホテル代を出せの、飯代を補助しろのと要求ばかり。私は、とうとう爆発して「よく考えてくれ、この会議は300人を越える参加者があって一見収入が多そうに見えるが、50名近くも登録料を免除したので、収入は予定を大幅に下回っている。あなたがたも登録料を払わなかった。ではconference kitをもらわなかっただろうか。coffee breakにcoffeeを飲まなかっただろうか。welcome partyでビールを飲まなかっただろうか。night sessionに入る前のlight snack and refreshmentを口にしなかっただろうか。十分ではないが、旅費の一部を手にしなかっただろうか。poster sessionの80枚のpanelのうち40枚は何も貼られていない。これは旧ソ連人達の不参加のせいだ。これだけでも4000ドルもの出費を強いられていることを理解できないのか。委員長を含め委員全員が登録料を払って参加しているなんてことは、あなたがたの社会では考えられないだろうが、これが日本社会の民主性だ」とまくしたてた。これでやっと「よくわかった。あなたがたはよくやってくれた」といってくれた。きちんと説明することの大切さを実感した。

  講演のこと

いろいろ裏話を書いたが会議のことにも触れておかねばなるまい。会議そのものは大成功だったと思う。今回の講演数(実際に発表されたもの)は、この会議シリーズの最高に達し、多元化合物の研究の層が着実に厚くなっていることを示した。内容的にも、基礎、応用、理論、実験のいずれの面でも充実したものであった。特に、新しい化合物の設計と創製について確かな手応えがあり、次世代の多元化合物研究の方向付けが 得られたと考えている。プログラム編成、特に招待講演、フォーカストセッションについて、多くの海外参加者から絶賛の言葉をいただいた。論文委員長の獅子奮迅の努力あればこそであった。また、今会議に参加した研究者の国別構成は、通常の半導体関係の国際会議ときわだった違いを示し、旧ソ連、東欧、アジアなどの参加者が多く、日頃接することの少ない研究者間の交流が生まれたことは特筆に値することであった。これこそ私たちが目指したものだったのである。
会場のパシフィコ横浜は全体にゆったりとしていて、会議室だけでなく廊下での討論の場も十分にとれた。また、参加登録・受け付けなどの対応が行き届いていたことなど、多くの賞賛が寄せられた。横浜港周遊のクルーザー上のバンケット(台風を気にしながらの薄氷を踏む開催)や、横浜コンベンションのボランティアによる三渓園での同伴者プログラム(生け花の実習、きものショウ)も好印象を与えたようである。
この会議のカバーした分野は三元および多元化合物における以下の主題である。(1)結晶成長と結晶化学、(2)結晶および薄膜の評価、(3)界面、表面、超格子、(4)電子構造と磁性、(5)新物性、(6)応用、(7)新物質の設計。全体の概要については、応用物理ぶらっくぼーど欄(1993.10 p.1147)、あるいはエレクトロニクス誌(1993.11 p98;オーム社)をご参照いただきたい。結晶工学に関連した主題の部分のみをご紹介しておく。

(1)結晶成長と結晶化学
結晶成長の分野で特記すべきはワイドギャップカルコパイライト化合物のエピタキシャル成長についての日本の研究者の実験的貢献であろう。基調講演で柊元(東工大)は最近、MOCVD法によりワイドギャップ材料Cu(Al,Ga)Se2を用いたヘテロ構造の作製に成功し光学励起により青色の誘導放出を観測したと発表した。今後は伝導度制御がポイントになると指摘した。秩父(慶 応大)はCuAlS2の気相エピ成長を、松本(山梨大)はCuGaS2とCuGaSe2のクロライドエピ成長を、坪井・飯田 (長岡技科大)はCuGaS2の気相エピ成長を、増本(電磁研)はCuAlSe2のMBE成長を報告した。いずれの方法においても、励起子発光や吸収端発光の見られる高品質のエピ層をGaAsまたはGaP基板上で作製する技術が確立されつつあるという実感を得た。一方、三宅(三重大)はTHM法によるCuGaSe2, CuGaS2, CuInSe2などの大型単結晶作製をレビュ-したのち、相図の特徴をうまく利用 して均一な組成分布を持つCuGa0.6In0.4S2の合金単結晶の作製を報告した。このような高品質のTHM単結晶 は今後ホモエピタキシャル成長のための基板として重要となると期待できる。一方、Bachmann (米国)はハライド輸送法によってⅡ-Ⅳ-Ⅵ2カルコパイライトの良質のエピタキシャル膜成長が可能であることを示した。
カルコパイライト以外では、レ-ザ-用結晶LiNd1-xYxF4のブリッジマン成長、高濃度にド-プされた三元化合物半導体 合金における相変化、CuInSe2やAg/(Hg,Cd)TeにおけるCuやAgイオンの高電界による不可逆的な再配列、Ag7-xTa6-xIの構造解析、BGO結晶の水平ブリッジ成長、In(Ti0.5M0.5)O3(Mo)m (M=Zn,Mg)の作製と構造、(Pb1-xGex)(S1-zSez)系の溶解度などの報告があった。

(2)結晶・薄膜評価
Kazmerski(米)はその招待講演で、STMを改良した新しいナノプローブ顕微鏡を紹介し、その動作と能力をカラービデオによって示し聴衆に感銘を与えた。この装置では、光と電流の制御によって、目的とする原子位置に格子欠陥を作ったり、1個1個の原子を観測したりできる。Cuの空孔、Seの空孔などが、まるで湾岸戦争の軍事施設攻撃のように照準をあわせて、自由自在に作られる。(分光STM技術によってCu、In、Seが色を変えて表示されている。)これとナノ領域のフォトルミを組み合わせることによって、CuInSe2のどの発光線がどの欠陥によるのかなどということまで同定できることを示した。(光物性屋はこれからいいかげんなことが言えなくなる。クワバラクワバラ)
光学的な手法を主な評価手段とした論文が40件あまりあった。測定手段で分類してみると、半数は発光現象による試料の評価あるいは不純物準位等の推定などを扱ったものである。光吸収測定による禁制帯幅の推定等も10件弱と多い。また、ラマン散乱を扱ったものも6件程ある。材料としてはI-III-VI2族化合物を扱ったものが24件と最も多かった。その中でもCuを含む ものがその大部分(20件)を占めており、CuGaX2系が9件、CuAlX2系が7件あり、Ag系が2件あったことも考慮すると、ワイドギャップ材料への関心の高さがうかがえた。しかし、これらの材料は、欠陥が生じやすかったり、ディープレベルの発光が強かったりで良質の結晶が得にくいという難しい側面も持っているようである。その他では、CdGa2S4などII-III2-VI4族化合物を扱ったものが9件、 すでにあげた件数と重複しているが、希土類添加結晶を扱ったものが3件あり、様々な材料が広く扱われている。

(3)界面・表面・超格子
材料的には、招待講演でWiegers(蘭)が紹介したMX, TX2 , MTX3 (M = Sn, Pb, Sb, Bi, Ln; T = Ti, V, Cr, Nb, Ta; X = S, Se)等で代表されるMisfit layer compoundsが目新しいものであった。化合物半導体関連では、混晶GaInP2における秩序化とII-VI族化合物ヘテロ構造の2つの主要なトピックスが話題になった。混晶GaInP2は<111>方向を主軸とするCuPt構造のドメインが成長し、これがPL、ラマン散乱等に反映される。A.Eyal(Israel)ら、F.Alsina(Spain)らは GaInP2の偏光PL、反射スペクトルの測定、種々の混晶組成における比較等を行い、従来から提唱されているモデルとの比較、バンド計算との詳細な比較を行なった。J.Pujol(Spain)らは Keating modelを用いて GaInP2秩序相によるゾ-ンセンタ-フォノンの計算を行なった。混晶の秩序化に対して、中山(神戸大)らはMBE成長中の原料ガス分子の混晶中への取込確率が 格子サイトに対応して異なるという現象論的モデルをたて、モンテカルロシミュレイション で混晶中の秩 序化を説明しようと試みた。II-VI族化合物ヘテロ構造に関しては、中山(千葉大)が種々のII-VI族ヘテロ接合系に対する擬ポテンシャルを用いたバンドラインアップの計算がを示し、実験と比較的よい一致を得た。

(4)応用
応用の論文は57件あった。内訳は、CuInSe2系太陽電池関係が39件、非線形光学デバイス関係5件、その他の応用が3件、III-V族、II-VI族関係が10件である。CuInSe2系太陽電池研究のこの1年間における欧米の進展は目覚ましく、それに比べ日本における研究は遅れており内容は基礎的段階のものが多かった。一般講演の他、CuInSe2の成膜技術に関するフォ-カスト・シンポジウムが開催された。Schock(ドイツ)はCuInSe2系で 16.9%という変換効率を報告し、本会議の大きなトッピクスの一つとなった。これはこれまでに知られた全ての薄膜太陽電池の中で最も効率が高く、多結晶Si太陽電池にも匹敵する驚異的な値である。報告に依れば特徴的な成膜法は、① Gaを Inに対して25%置換し、禁制帯幅を1.14 eVに広げたこと、②その膜厚方向に基板温度や組成を細かく制御したこと、③ソ-ダライムガラスを基板として用いたこと、④窓材の作製法の改良、である。Basol(米国) は、欧米におけるCuInSe2系太陽電池の開発状況を総合的に紹介すると共に、特にCuInSe2膜に関する多くの成膜法を取り上げ、セル効率との対応、問題点、将来動向などを報告したが、CuInSe2系薄膜の 成膜技術の動向を知るにはよい内容であった。Focused sessionではこの分野の専門家8名 がパネラ-として参加し、材料から、セル構成、成膜技術、セル化技術に至るまでの全般に渡って、セル効率との相関、現状レベル、高効率化のための問題点、対策が議論された。欧米では、CuInSe2系薄膜太陽電池が電力用として本命視されている。米国でも本年に入って各社軒並み15%台の変換効率が得られており、既に大面積モジュ-ル化技術の開発研究が開始されたということであった。変換効率も、薄膜太陽電池の当面の目標である20%が近い将来には達成される勢いが感じられた。
その他関心の高かった講演として次のものがあった。Bhar(インド)は、カルコパイライト 型化合物半導体の赤外用光学材料としての特徴を詳しく述べた。実際に非線形光学材料を扱う立場から報告されたので具体的で興味深い内容であった。また掘中(阪府大)は、ラマン分光などにおいて 有用である帯域除去光学フィルタに使用できるカルコパイライト半導体に対する条件を考察した。また、田中ら(NHK)はCuInSe2を用いた光導電型の撮像素子を初めて作製し、実際に画像を検出した。

エピローグ -借金が返せない-

三元多元化合物は、まだ、産業につながっていない材料である。私は、非常に将来性のある材料群であると考えているが、欠点を数え上げるときりがない。好景気のときには、「まあ、今すぐ役にたたなくても21世紀のためにしっかり研究しなさいよ。」なんていってくれていた会社が、バブル崩壊とともに手のひらを返したように「とても、そんな余裕はありません。」まあ、たしかに、無名の私たちが未来材料で多額の寄付金を企業から集めようとしたのも、パシフィコ横浜のような立派な会場を確保したのも、身の程知らずだったのである。それに、言い訳になるが、あのバブルの最中の90年に、誰が今日の景気後退を予想しただろうか。寄付が予定の9割の590万円近くも集まったのは、むしろ大健闘で、委員の方々が大変な努力をしてくださったおかげだと感謝している。
不況感がはっきり見えてきた1991年ごろから我々は財団等の助成の獲得にウェイトを置きはじめた。日本万国博覧会協会、国際コミュニケーション基金、米国International Science Foundationをはじめ約10団体から総額640万円にのぼる援助をいただいた。これによって、実に約45名の登録費免除(180万円相当)と、約40名の旅費・滞在費補助(総額400万円)が可能になったのである。我々の意図するところをご理解いただいた関係各位に深く感謝する。
1993年11月応用物理学会理事会。議題の1つとして、「第9回三元および多元化合物に関する国際会議終了報告、借入金返済延期申請」が審議された。「募金に努力をし、経費節減に努めましたが、不況で寄付金が減ったうえ、八店途上国、旧ソ連・東欧など45名も参加費を免除したので収入が減った一方、支出は旧ソ連・東欧・インドなどの参加者援助、参加者増によるパラレルセッション会場確保など予想外に多くかかりました。最終的には論文集の別刷り代金が入金されれば、バランスする見通しですが、論文集が刊行されるまで現金が1銭もありませんので、応用物理学会からお借りしました200万円が返済期限である1994年2月までにお返しできません。つきましては、3ヶ月間の返済繰り延べを認めていただけませんでしょうか。」事情を説明したあとの会話。会長:「今後の国際会議主催者にアドバイスすることはないですか。」佐藤:「はい、旧ソ連の人はあまりたくさん呼ばない。そして、なるべく現金を残すために、委員の旅費等は最後に支払った方がよいと思います。それから、国際貢献もいいのですが、参加登録料は、なるべく免除すべきでないですね。しかし、最終的にお金を残してもしかたが無いので、応物は借入金の返済期限をもう少し長くして欲しいですね。」
かくして、国際会議は終わった。工学部唯野教授(=フツーの先生)たちの手作りによってついに336名の「大会議」をなしとげたのである。
次回ICTMC10は、Schock博士を中心とするスツットガルトのグループによって1995年に開催される。国際会議慣れしたヨーロッパの人達だから、私たちよりもっと気軽にうまく開催してくれるものと期待している。
なお、今会議のプロシーディングスの残部がございますので、ご希望の方は、農工大佐藤までお問い合わせください。(Tel/Fax=0423-87-8151直)